【改訂版】日本語ラップの元祖は誰か?時代を遡って調べていくと意外な有名人の名前が登場!

イマドキの音楽はテレビから流れてくるものが耳に入る程度ですが、いわゆる「ラップ」が曲中に入っているのはもう当たり前になっています。アイドルの曲でもそういう曲があり、今やJ-POPにおける手法の一つにさえなったようです。
けどこれって、昔はどうだったかというと全然そんなことなかったですよね。

日本語によるロックの源流を辿っていくとはっぴいえんどに行き着くとされていますが、では「日本語ラップ」というものの源流を辿るとどうなるのでしょうか…。

ということで記事にしたのですが思いのほかアクセスがあり、いろいろ意見も頂いたので大幅改定。ラップっぽい物も含めていろいろ貼っていくので、聴いてみて下さい〜

大衆に「ラップ」を広めた功労者

同年代の人とそういう話をしていた時に、最初に日本語のラップというものに触れたのはこの曲だと言っていました。あまりにもヒットしたので、同じような人は多いはずです。

リリースは1994年3月9日。
スチャダラパーfeaturing小沢健二 「今夜はブギー・バック (smooth rap)」

この辺りを聴いていくなら、初期の電気グルーヴもラップものが多くありました。
こちらはSSEからの「662 BPM BY DG」収録テイク。(メンソール版を貼っていましたがご指摘ありました。確かにこの流れだと662版を貼るべきでした)

1990年6月6日リリース。
電気グルーヴ「電気ビリビリ」

この時代で一つ、珍盤を紹介。
コント赤信号の小宮孝泰がMCコミヤとしてリリース。MCハマーの「you can’t touch this」のパロディーです。これ、耳にこびりついて離れません。
MCコミヤ「遣唐使です」

アンダーグラウンドシーンで日本語ラップがムーブメントを起こす

もう少し遡ってみましょう。
前述のスチャダラパーを排出した「メジャーフォース」というインディーズレーベルを運営していた藤原ヒロシと高木完による「タイニーパンクス」が、いとうせいこうと組んでリリースしたのがこちら。
1986年の作品。
いとうせいこう&TINNIE PUNX「東京ブロンクス」

ラップ要素自体は時代を遡ればいろいろあるけど、「日本語でラップ」を明確に意識してアプローチしたという意味ではいとうせいこうが最初であるという声が強いようです。なるほど確かに。

ただ、それで記事が終わってしまってもアレなので、もっとさかのぼってみます。

同じ頃近田春夫が、自身の立ち上げたヒップホップレーベル「BPM」からPresident BPM名義で活動していました。
President BPM「MASSCOMMUNICATION BREAKDOWN」

ちなみにこのBPMレーベルからの作品で、近田春夫+せいこう+細野晴臣(!)のシングルが出てます。細野晴臣の日本語ラップ。この音源は結構レアです。
FOE feat.細野晴臣 with President BPM & いとうせいこう「Come Back」

メジャーというフィールドで日本語をラップに乗せた先駆者

こちらは一風変わった例ですが有名な作品。文節ごとに日本語らしく五・七・五調で非常にクオリティ高いです。
1984年11月25日リリース。
吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」

佐野元春の1984年5月リリースのアルバム「VISITORS」で、ニューヨーク仕込みの洗練された曲の中に日本語でラップをしたものがあります。サムデイやアンジェリーナとは違ったイメージの佐野元春なので、リリース時にはかなり衝撃的だったようです。

佐野元春「COMPLICATION SHAKEDOWN」

電子音楽とラップの融合

YMO1981年3月21日リリースの「BGM」というアルバム。
それまでの「ライディーン」「テクノポリス」を代表とするピコピコサウンドのイメージを大きく裏切る、ドンヨリした重いアルバムで、わたしはこの作品が一番好きだったりします。

その中に一曲、細野晴臣が自らラップをしている曲があります。ただし日本語ではないですが。
YMO「ラップ現象」

(Youtubeになかったのでニコニコ動画から貼付けています。この映像はどうにも…)

ちなみに、この作品がアフリカバンバータの「プラネットロック」リリースの1年前ということに一番ビックリしました。

YMOの「BGM」の少し前にリリースされた、小林克也・伊武雅刀・桑原茂一による「スネークマンショー」の作品。細野晴臣プロデュース・作曲編曲で、さらにベース&キーボードも細野、ドラムが高橋幸宏ということで思い切りYMOです。
咲坂守(小林克也)&畠山桃内(伊武雅刀)という設定でのかけあい。
1981年2月21日リリース。
スネークマンショー「咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3」

もっと遡ってみると・・・

これは有名。
「8時だよ全員集合」でおなじみの早口言葉。
これも確かにそうですね。1980年12月リリース。
ドリフターズ「ドリフの早口ことば」

個人的には、大槻ケンヂがカバーしていたのが印象に残っています。
オリジナル版はアレンジが秀逸です。ちなみにプロデューサーはミッキーカーチスだそうです。知りませんでした。1973年作品。
左とん平「とん平のヘイユーブルース」

最後に。
「トニー谷を忘れてはいけない」とのご指摘を頂いたので貼っておきます。いわゆる「リズムネタ」の源泉とも言えるかもしれません。
死後に大滝詠一プロデュースでリイシュー版が出たのを一時期持っていたのですが・・・

1964年8月
トニー谷「あんたのおなまえ何ァンてェの」

他にも「サイザンスマンボ」などの秀逸な曲もあります。

というわけで、こちら随時更新中です!

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