新日本プロレスの売上推移2000年以降まとめ。業績が良い年の共通点を分析。

ここ一週間くらい、YouTubeでプロレスの映像ばかり見ています。といっても昔の懐かし映像ばかりですが…久々に見ると面白いですね。見た事のある映像でも面白いです。

しかし、数年前までは「プロレス界の裏ビデオ」なんて言われていたような映像もYouTubeに転んでいたりするわけですから、便利な時代になったものです。

裏映像として有名だったものとしてはやはりこれ。
前田日明vsアンドレ・ザ・ジャイアントの伝説のシュートマッチです。これはさまざまな憶測や裏話、後日談も含め飛び交っており、まさに「今のプロレスには無い」類の試合です。

こうやって簡単に共有され閲覧できるのですから素晴らしい時代です。昔はそれこそダビングしたりして収集していたのですから…。

そして、いろいろ情報を収集してみて改めてわかりましたが、新日本プロレスはブシロードによる買収以降、好調のようです。

新日本プロレス2014年7月期 決算

先日、7月で決算となる新日本プロレスの業績が出ました。
結果はななんと。。。

新日本プロレスの今期の売り上げは16億→23億円に大幅増!

その中でも大事な「営業利益」が見えませんが、まずは母数となる売上高が無いと始まりませんから、前年より大幅アップというこの数字は素晴らしいことです。
今後も業界全体の底上げに期待できます。

新日本プロレスの売上げ推移と主な出来事を重ねて検証

「23億って素晴らしい」とのネットニュースやブログはいろんなところに出ているようです。しかし冷静に考えると、私がプロレスを見ていた頃も売上げがどれくらいだったのかを考えた事はありませんでした。

そもそも新日本プロレスの売上げってどれくらいだったの?

いろいろネットで調べてみたのですが、上場企業ではないので公開の義務はありません。

「全盛期は今の倍以上の売上げがあった」
「北朝鮮興行で8000万円の赤字を出し、それをUインターとの対抗戦で全てチャラにした」

といった断片的なざっくりした情報はありますが…。

これだけ何でもネットで知る事が出来る時代なのに、まとめられたページという物が無い。となると逆に気になって、いろんな断片的な情報を調べてみました。随時更新して行こうと思いますが現時点で私が収集したのは下記の通り。

 年 売上高 経常利益 主な出来事
1999年3月 36億円 -2,008万円 猪木引退・小川橋本襲撃・大仁田参戦
2000年3月 34億円 -6,900万円 藤波社長就任・神宮進出
2001年3月 37億円 +9,617万円 長州大仁田・橋本引退&復帰&解雇
2002年3月 37億円 -700万円 猪木祭り安田・ジョニーローラー参戦
2003年3月 30億円 -1億5,368万円 武藤・長州退団
2004年3月 29億円 -5,000万円 アルティメットクラッシュ・魔界倶楽部
2005年3月 13億円 草間社長就任
2006年3月 15億円 草間社長解任&サイモン猪木社長
ユークス買収
2007年 12億円 菅林直樹社長
2012年 11億円 2012年1月31日 ブシロード買収
2013年7月 16億円
2014年7月 23億円

※「主な出来事」は決算期間ベースで記載。
※売上高は、億未満の単位も一部記載がありましたが省略。
※ユークス時代の決算月は不明。

ユークス時代の売上に関する記述がどこにもなく、おそらく10億円ちょっとくらいなのだろうと推測はできますが入れていません。

これを見ると、2000年頃は売上が30億円あったようですね。そしてさらに以前、90年代のドームプロレス全盛期は40億円もあったようです。Uインター対抗戦やnWoブームです。
確かにこの頃は勢いがありました。

この表の前半は利益も出ておりますが、慢性的に赤字体質の様子です。
帝国データバンクの情報だと、当時の評価は「D1」とのこと。点数50に満たないところはD表示され、D1は48点くらいのはずです。

※帝国データバンクの評価点は、信用取引を行う取引先の企業情報としてのものですので、Dがついている場合は要注意という意味合いです。

大幅に利益が出ている新日本プロレス2001年3月決算

毎年赤字の中で唯一、一億円近い利益が出ているのが2001年3月決算です。
この決算に該当するのが2000年4月〜2001年3月。実質「2000年」ですね。

この西暦2000年の新日本プロレスにおける出来事を振り返ってみると…

因縁で盛り上がっていた「橋本vs小川」の、「橋本真也34歳小川に負けたら即引退スペシャル」が久々にゴールデンタイムで生放送されたのが2000年4月。この放送は平均視聴率15.7%、瞬間最高視聴率24%という大成功を叩き出しました。

そして、橋本が勝ってハッピーエンドになるとみんな思っていたのに橋本が負け、辞表を提出。その後「折り鶴兄弟」とかの流れもあり秋のドームで復帰(その後揉めて退団しますが)。

あともう一つ。1999年に参戦して新日本をかき回していた大仁田が、ついに長州と激突したのが2000年7月。長州が復帰でしかも電流爆破ということもあり、当時の横浜アリーナの観客数記録を更新し、さらにスカパーでのPPV放送も当時の記録を更新し4万件も売り上げたそうです。

この「橋本小川」「長州大仁田」という二大看板により、大幅な利益を生み出したと思われます(細かい数字は出ていませんが、突き抜けた業績の良さは他に理由がないでしょう)。

ものすごくわかりやすいですね。

橋本小川も長州大仁田も、
「ある程度の知名度」
「下品なほどのスキャンダラスさ」
「プロレス的なストーリーにとどまらないドキドキ感」

が兼ね備えられています。

「負けたら即引退」「電流爆破」「真鍋アナとのやりとり」どれも下品でうさん臭い要素満載です。しかもある程度一般的に知名度もある選手が、です。小川と大仁田でタイプ的には真逆ではありますが、なぜどちらも盛り上がったのかというと皮肉な事に同じ理由なんですね。

そして、「ドキドキ感」。
「負けたら即引退」なら勝つに決まってるのに負けさせるというどんでん返し。しかしその後復帰するという「あープロレスって復帰があるもんね」という胡散臭さ。しかしその後ゼロワン問題で揉めて退団。以前から言われていた橋本の新日本に対する不満はホンモノであり、至る所にそのヒリヒリ感がちりばめられていました。

そもそも1999年1月の「1・4事変」と呼ばれる試合は、語り継がれるべき事件です。そこから「負けたら即引退」までの流れたるや、誰にも描けるストーリーではありません。

そして、大仁田が新日本に乱入した時点で長州は復帰するつもりはなかったはず。1年半かかってしかも電流爆破のリングにあがった長州。これって新日本の状況・現場責任者としてのプライド・プロレスラーとして光を浴びたいという気持ちなどを考えると複雑です。

大仁田参戦の最後の試合から1年弱かかっての復帰ということもあり当時は「ちょっと引っ張り過ぎたかな」とも思いましたが、ふたをあけてみると大成功。橋本小川の盛り上がりが落ち着くのを待っていたのか、盛り上がりに嫉妬したのか…

この2つの因縁が爆発した年に、新日本プロレスが大幅収益を上げているという事実があるのです。

2000年の新日本プロレスと、今の新日本プロレスの共通点

共通点と言われても・・・と思うでしょう。
前述した選手達はすでに誰も新日本プロレスにはいません。正直、私も知らない選手だらけで新陳代謝が計られています。

本来のプロレスが持つイメージ。
「胡散臭さ」
「いかがわしさ」
「男臭さ」
「セメント幻想」

といったもの。
昭和プロレスファンってこういうのがスキなのですが。

今の新日本の人気は、まさに真逆。
「イケメンでマッチョ」
「大技でアクロバティック」
「若い女性のファンが多い」

ショー的要素が強いからWWE路線、という単純なものではないですが、「進んでいる方向」としては違う印象を受けます。

で、今の新日本プロレスって結構テレビなどいろんなメディアに選手が登場していたり、ブシロード社長も言っていましたが「流行っている感を出す」ことにより、デートスポットにもなっているとのこと。

これって形は違えど方向性としては「世間を巻き込む」ですよね。
猪木の時代とは違うやり方ですが、いろんな媒体で積極的に露出し知名度を上げ、流行っている印象を与えると客寄せになる。もちろん若くてイケメンの選手がいい。

いわゆる「マニア排除」の流れですが、こうして新しいプロレスというものを作ろうとしているのは素晴らしいことです。数少ないマニアを排除することで多くの新規ファンが増えるのであれば、業界的にはいいことです。

排除されたマニアの人も、昔の名試合をYoutubeでも見られる時代です。さらに膨大なライブラリから厳選された「燃えろ!新日本プロレス」シリーズも大好評のようです。
http://weekly.shueisha.co.jp/moero/main.html

ちなみに・・・
この年表の話に戻すと、その後2000年中盤頃は格闘技ブームに押されて混迷の時代に入るのですが、ここについてもまた記事にしようと思います。

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