前回の記事が長くなりすぎたので、前後半に分けて記事にしています。
というわけで前回の記事はこちら。
プ女子に捧ぐ!事前取り決めのないセメントマッチもまたプロレスの奥深さ!猪木vsペールワン戦の真実
アクラム・ペールワン戦の考察をまとめたところまでが前回の記事。一応貼っておきます。アントニオ猪木vsアクラムペールワン戦。
しかし今回の本題はここからです。先日見つけた動画というのが、「アントニオ猪木vsジュべール(ジャラ)・ペールワン」という映像。マニアの方でも見たことがない人も多いはずです。
※ジャラ・ペールワンという表記も見かけますが、ここではジュベールで統一します
ジュべール・ペールワンとの試合
前回記事にも書いたように、パキスタンの英雄であるアクラム・ペールワンと現地にて戦った猪木。この試合についての考察は前回記事をご覧下さい。
猪木に腕を折られ敗北し、これによりペールワン一族の名声が崩壊してしまったと言われています。そしてアクラムは急死。
そんな中立ち上がったのが、同じ一族のジュべール。ボロ・ブラザーズの4男アスラムの息子であり、アクラム・ペールワンの甥となる男が、叔父であるアクラムの敵討ちにと名乗りを上げます。その時のジュべールはまだ19歳。
猪木は、アクラムのその後の急死について耳に入っていたこともあるのでしょう。このジュべールとの試合を引き受け、再度パキスタンへ飛びます。
幻のジュべール・ペールワン戦の動画が存在!パキスタンでの現地放送分がYoutubeに
1979年6月17日。
パキスタンで行われたこの試合。
なぜ幻と言われているのか?
これは日本のテレビはもちろん、新聞、雑誌の取材陣も同行しなかったためです。というわけで映像自体がないと思われていたようですが、何とYoutubeで見られます。
こちら!
字幕からしておそらくパキスタン現地のテレビ放送映像でしょう。こんな映像が共有され閲覧できるのですから便利な世の中です。
映像は3本あり、おそらく1〜4本目まであるうち1本目が見つからなく、途中からとなっています。前回のようなノールールではなく、今回はパキスタンのプロレスルール。とはいえ変則的なラウンド制のようです(リングに張っているロープもダルンダルンだったりしてますね)。
最後の映像(3本目)の7分23秒あたりで、猪木がジュペールの手を上げてアピール。
ジュペール陣営はこれで「勝った」と思って大喜び。
実際は「引き分け」とのことです。
映像を見てわかるように、アクラム・ペールワン戦とは違って純然たるプロレスの試合ではありますが、時折ジュベールが攻め込んでいるところを猪木がうまくいなしているようにも見えます。
まあ状況的に、プロレスだとしても一瞬たりとも油断できない試合であることは間違いありません。その上で最終的にジュペールの手を上げてやることで敬意を示し、観衆も喜ぶということで相手に花を持たせたような格好のようです(推測ですが)。
アントニオ猪木の異種格闘技戦の中でもあまり語られることのないこの試合。新日本プロレス(というかテレビ朝日)も持っていない映像(?)であり日本人の観衆もおらず、インターネットが無ければ目にする事のできなかった映像であることは間違いないでしょう。試合内容すら語られていない試合ですから…。
こんな映像が発掘されるのですからYoutubeってやっぱりすごいですね。
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