「24時間テレビ 愛は地球を救う」
毎年夏の風物詩としてマラソンを実施したり障害者の方を出したりと盛り上がっており、賛否両論あります。
募金を集めるという善意によるチャリティー番組のはずなのに、なぜ賛否両論がものすごいのでしょうか?テレビではやらない問題なのでちょっとまとめてみたいと思います。
チャリティー番組で高額な出演料を貰う
昨年(2014年)は嵐がメインパーソナリティーでしたが、週刊文春によって「5人で5000万円」という内情を暴露した記事が話題になりました。
かねてから同番組はチャリティーをうたいながら出演者に高額ギャラが支払われているのではないかとの疑惑があり、昨年メインパーソナリティーを務めた嵐について「5人で出演料5000万円」などと一部メディアが報じる騒動が起きた。だが、日本テレビは「(嵐には)ボランティアで務めていただいております」と異例のコメントを出し、それを否定していた。
この記事の信憑性は一旦置いといて…
24時間テレビの出演者にギャラが支払われているというのは、昔から言われ続けていることです。仕事だからと言われればそれまでですが、募金を呼びかけている芸能人が高額な出演料をもらっているという矛盾を感じるのは普通ですよね。
これ、アメリカのチャリティー番組ではあり得ない事」なんだそうです。このあたりも日本独特なんでしょうか。
ちなみに私の個人的な考えは、この通り。
引用します。
ビートたけし 「24時間テレビから出演依頼がしつこく来てたんだけど全部断ってやったよ。
あんな偽善番組は大っ嫌いだ。誰がなんと言おうと俺は絶対出ないから。
ヨダレ垂らした芸能人どもがこの番組でめちゃくちゃ高いギャラ稼ぐくせに これ以上貧乏人から金巻きあげんな。
チャリティーって言うくらいなら おまえら全員ノーギャラで出ろよ!コノヤロー!!」ソース:ビートたけしのオールナイトニッポン
これ、昔から一貫してますよね。
私もほんとこの通りだと思います。
障害者を担ぎ出して見世物にするのはいかがなものか?
これもよく言われます。
半身不随の障害者の方が、みんなの助けを借りて富士登山を行ったり、ダウン症の子がAKBと一緒に歌って踊ったり。
いい言い方をすれば「ハンディキャップを乗り越えて頑張る姿を紹介」。
ちょっと悪い言い方をすれば「障害者を担ぎ出して見世物にしてお涙頂戴を作る」と言えるでしょう。こういう映像を見て、何を思えばいいの?と感じている人も少なくないはずです。
「感動」を演出使用としている作り手側の気持ちが透けて見えるのが、気持ち悪いということでしょうか。
チャリティーマラソンの意味
24時間テレビといえばマラソンと言ってもいいくらい、おなじみなものになりました。今年はDAIGOが走るそうです。
これも前述した「感動の演出」に便利な企画ですが、これをすることで障害者が助かる訳でもない。何か意味はよくわからないけど頑張って走っているというものです。
番組のクライマックスで武道館まで後少しの状況で「負けないで」が流れてみんなで歌って、残り30分くらいのところでゴールして、「サライ」を合唱するというの演出が、わかっていてもみんな見てしまうというのも頷けます。
結果的に募金が集まっているのだからいい、という考え
昨年の募金総額は過去2番目に多い15億4522万6444円。今年も同程度か、それ以上の募金額が予想される。だが、募金をすべて集めてもCM収入の22億円には遠く及ばない。もし、局側が必要経費だけ差し引いて募金に回したら、寄付金額は倍以上になるのだが…。
数字だけ見るとこんなことも言われてしまうのもわかりますが、番組があるからこそのCM収入であり、CMが流れないのに寄付をしてくれるような企業があるとは思えません。
と考えると、たとえ障害者を見世物にしたり出演者にギャラを払ったりしたとしても、結果的に15億円の募金を集めているということについては評価に値するのかもしれません。番組がないと発生しない訳ですから。
「やらない善よりもやる偽善」という言葉があります。
偽善でも何でも、結果として募金できるならいいじゃないかということですね。それによって助かっている人がいるというのも事実です。
というわけで、賛否両論の24時間テレビ。
今後も毎年夏の風物詩として行われるはずですから、この議論もいつまでも行われるのでしょう。
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