(まとめ)AION IZUMI氏と元メンバーのトラブル・①ルナフェス・記録用DVD販売・SAB追悼ライブ辞退まで

かつて人気を博したバンド「AION」の、元メンバーとの生々しいゴタゴタがXを中心に話題になっています。この記事を書いている時点(2025年9月末)で、IZUMI氏と酒井愁氏が、X及びブログでそれぞれの思いを長文でやりとりし、一応の収束を迎えたようです。

Xやブログのスクショを元にまとめているサイトはあるようですが、これを語るにはSAB氏逝去からの流れを踏まえて時系列で整理しないと始まりません。5chのスレッドやXのリプライ等も一通り目を通して観ましたがやはりファンでも誤解している部分もあったりする記述が多いようです。

私、一応その辺りをリアルタイムで観てきたので、記憶のみとなりますが時系列で整理します。

私のAION歴

中学生の頃にXからはじまっていろんなバンドを聴くようになり、「Xよりも激しい」ということで友人の兄に紹介されて聞いたのが「HUMAN GRIEFMAN」のリマスタリングのCD。当時ギターをしていたのでその観点でも聴きながら「Xよりも激しくて難しい」ということで夢中になりました。あと借りたのが「MA-G-MA」で、この2枚を死ぬほど聴きました。

そんな頃にリリースされたのが、「Absolute」。当時愛読していたロッキンfでは、インタビューや奏法解説などで特集されており、「Anguished Heroes」はBPM200で1拍で7音(1小節に28音)弾く」「スイープに聴こえるかもしれないが俺の弾き方ならフルピッキングの方が早い」とか、ギターをやっているものからすると信じられない内容の数々で、夢中になりました。

また愁のインタビューや奏法解説でも、MissngやElegant Fearなどの頭打ちのところの裏のバスドラが2連と思いきや実は3連だったり、Demoniac Insanityの最後のバスドラ連打が、左右左右左右左右じゃなくて左左右右左左右右という踏み方だったり、「移民の歌を片足で叩けるように」とか、YOSHIKIが一番速いと思っていた私の脳天を打ち砕くだけの説得力があり、とにかく夢中になりました。Absoluteのメンバー4名のポスターを部屋に貼っていたのを思い出します。

その後大学に入学した頃に、メジャー契約を終えてインディーでリリースした「Mithras」を購入したところ、ドラムがリズムマシンになって音楽性もよりコアに?なってきて、当時の私の音楽的な興味からもずれていった印象です。2枚目の「Eve」は購入したのですが、そこから自分の中ではフェードアウトしていった印象。これはAIONがどうというより自分自身の趣味嗜好がギターから外れてきたという方が大きかったかもしれません。

その後、音楽からは離れていましたが、WEBを通じてAIONの活動はぼんやりとですが目にはしていた程度でしたが、とにかく思春期の私に大きな影響を与えてくれたAIONは尊敬するバンドの一つです。ギターをやっていた私にとってIZUMI氏は神であり、あのとんがったProceed製のGODDES CUSTOMが欲しくてたまらなかったのを覚えています。楽器屋でエドワーズ製を発見して買える値段だったこともありますが、「廉価版のEdwards製は本物じゃない」「Proceed製こそ本物だ」というポリシーの元、見送ったのを後悔しています。

ルナフェス前後のAIONの活動

多くの方が印象に残っているのは、LUNA SEA主催「ルナフェス」への出演だと思います。当時音楽からは離れていた私も、X,BUCK-TICK,D’ERLANGER,AION,LADIES ROOM,TOKYO YANKEESなどが出演するということでWEBでチェックしておりました。

AIONはそこでまさかの、新曲のみ3曲を演奏。GODDESではなくSGギターでの演奏(最後のセッションではGODDESを持っていましたが)。誰もが往年の名曲を想像していたところをまさかの新曲というのが印象的でした。今後これらの曲をリリースするのだろうかと色々思いながら、X(当時はTwitter)やWEBサイトをチェックしていましたが、これらの新曲のインスト版や仮歌版は聴けつつも、なかなか活動が進まないことに違和感を感じていました。

一方、WEBサイトではルナフェス前から過去映像のDVD販売が活発化。元々はビデオテープで「SEEK BOOTLEG GIG」シリーズで過去映像を出しておりましたが、並行して当時のリアルタイムの映像もリリースしていたのでそんなに違和感はなかったのですが、かつて活動していたマインカンプを復活してその映像プラス過去映像も出てきたりもあり、前後関係を厳密には忘れてしまいましたが徐々に過去映像が増えてきた印象です。

また、当時デスラッシュバウンドのWEBサイトを見ていた方はご存知だと思いますが、リクエストライブという仕組みを導入していました(実際にどれくらい実施したのかは定かではないのですが、募集のページがあった)。要はプロレスで言うところの、手打ち興行ではなく売り興行という形の導入。「AIONのライブを運営しませんか」的な形で書いており、AION側は固定のギャラと交通費しかもらわないので、ライブハウス利用料やチケットの販売価格は自由だしそこから得られる利益も自由、といった記載がされており、なかなか生々しいなあと思ったのが印象的でした。

2025年9月に色々出てきた生々しい内容(ライブギャラは2万円だが、赤字でもIZUMIがメンバーに払っていた、等)も鑑みると、自身の主催とすると赤字のリスクがあるが売り興行であれば儲けは大きくならないが赤字にはならないので、そちらの方向に行きたかったのかなあと感じられます。

さらに…IZUMIのギター教室に関する案内も掲載されていましたね。覚えている方いらっしゃいますか?細かい金額までは忘れましたが、チケット製で何回コースで●円みたいな記載がありました。都内のスタジオでマンツーマンで、基礎から教えるもよし、あの曲を教えてください!でも良し、みたいな内容でしたね。これ、今やっているなら行ってみたかったなあと思います。

要するに、DVD販売も含めてこのあたりの活動により、AIONの活動費の捻出を行なっていたということがわかります。当時は深く考えてなかったのですが、IZUMI氏のブログによる内容を改めてみると、AION存続のための強い意志が感じられる活動だなあと思わされます。

SAB氏逝去とその後のゴタゴタ

いろいろ動きがあったのが、AIONのメジャーデビュー時のドラマー・SAB氏の逝去からでした。私がそれを知ったのはTwitterでのIZUMI氏のツイートでした。SABに会いに行くということで、お墓参り(?)だったかで向かっているのをツイートしていたのを覚えています。

そして、皆さんの記憶から抜け落ちているかもしれませんが、その頃にIZUMI氏と酒井愁氏のTwitter上でのやりとりがあったのをリアルタイムで見ていました。SAB氏追悼のツイートを酒井愁氏がしたところ、確かIZUMI氏がそれにリプライを送っていました。

SABの後任で自分がAIONのドラムになったけど当時は…といったツイートに対し、IZUMI氏が「いいドラムが入ったね、って周りの人からも言われた」と酒井愁氏のことに言及。それに対し「光栄だ」といったニュアンスのやりとりがありました。

その後のSAB氏追悼ライブについては、両名のブログに記載の通りの流れでした。IZUMIがTwitterで追悼ライブの告知。吉祥寺クレッシェンドで、IZUMI+Gargoyle として出演するというものでした。何でAIONじゃないんだろう?と思っていましたが、その後NOVが自身のブログで「半年前にNOV,DEANはAIONを脱退している。IZUMI氏がそれを公開しないのが理解できません」といった言及をしました。

その頃、酒井愁がNOV,DEANと再会して話を聞いて、IZUMI氏を恨み始めたというのは当時のWEBの公開情報で明らかで、その後IZUMI氏が追悼ライブに参加しないことが発表されるまでの流れはちょっとよくわからないものがありました。二転三転して結局「出ない」ということで、当時は酒井愁氏が抗議したのかなあと勝手に思っていました。IZUMI氏も理由とか言えばいいのに、と思って見ていましたが、2025年9月のブログによる回顧を読むと「そんな恐ろしい状況だったんだ…」と胸が痛みましたね。

その頃、WEBサイトで販売していたDVDシリーズのページが消え、一切のWEBでの活動が停止。文章がUPされ、その後しばらく音沙汰がなかったように記憶しています。関係者じゃないので全てはわかりませんが、DVDを勝手に販売したことで元メンバーと揉めてライブやWEB販売もできなくなったんだろう、と思っていました(実際には元メンとは別の第3者の暗躍によるものだったようですが)。

※私のAIONに対する思いが長くなりすぎて、長文になってしまい疲れたので、ここまで。それ以降は後日UPします。

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