世の中のお笑い好きは、プロじゃないのに技術論を批評しようとするから嫌われる

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「評論家」と呼ばれる人がいます。いろんな分野の知識や見解・経験を持つプロフェッショナルな人が評論家を名乗るのですが、特に免許があるわけでもないので名乗ったもの勝ちだったりします。

また、評論家と名乗らないまでもいっちょまえに評論・批評をする人も居ます。インターネットの普及により、誰でも簡単に評論を発信できるようになったので、ネット上にはそういった文章が溢れ返っています。

何かを批評するのに、必ずしもその経験者である必要はありません。野球にしても音楽にしても、また政治なんかにしても、経験者しか語っちゃいけないのかというとそんなことはなく、語るのは一般人です。

だから「だったらお前がやってみろ」というのは本来ナンセンスな話です。


…というのはわかっているのですが、世の中評論家だらけの時代で「よくそんな偉そうに語るなぁ」という文章を発見しました。

<めちゃイケ「ガリザップ」企画>番組改善が本気なら中途半端な迷いは捨てよ

高橋維新という弁護士の人の文章のようです。めちゃイケのある企画を見ての感想文なのですが、これがまあすごいです。断片的ですが引用します。

基本的には飲食店の紹介とゲストの告知を行うだけの陳腐なバラエティである。
おもしろいのはガリタの食いっぷりだが、視聴者はもう飽きている。

ナイナイ矢部が一定のリアクション芸をしていた。1店目で見せた目を見開いての呆けた表情や、その後の「飲めましぇ~ん」や「キビシー」といった先輩芸人のギャグなどである。役者の鈴木は流石に何もやっていなかったが、芸人・矢部が従前の「ガリタ食堂」「ガリザップ」よりは芸人としての仕事をしていたのである。

本来テレビ的な設定でしかない「太る」という目標に厳しく一途に取り組んでいるというズレが笑いを生むのである。要は、笑いの主軸を、ガリタの食いっぷりから岡村主役のコントに移した格好である。

ボケも、中途半端である。「めちゃイケ」では「真面目な表情で無茶苦茶なことをやらせようとしてくる人」のコントはよくあるのだが、岡村はコントキャラクターとしての見た目も中途半端であるし、矢部や鈴木への叱咤激励も密度が低い。

もっと声を出して、もっと身体的にもガッツリと2人に絡んでいかないと、「真面目なインストラクターが特に意味もなく人の限界を超えて物を喰わせようとしている」というコントのズレが際立たない。

矢部のリアクション芸も、単体で見ても全体的に中途半端なのだが、肝心のインストラクター役の動きや絡みも上記のように中途半端なので、余計に際立ってこない。矢部が苦しんでいる中でインストラクター役がムチャクチャな要求をしてくれば、矢部のリアクションももっと輝いたはずである。

どうですかこのお笑いや演出に関する上からの意見は!

「だったらお前がやってみろ」というのはナンセンスなのですが、何なんでしょうかこの読後のモヤモヤ感は…。別にめちゃイケが好きなわけでもないのですが、「お笑い」に関してこういうことを言いたがる人が特に多いように思うのは私だけでしょうか。

これって多分「素人が知ったような口でお笑いの技術論を語る」というのが鬱陶しいんだろうなということです。お笑いのコンテスト番組で、「何でこの人が?」というような人が審査員にいる時の違和感みたいなものです。

しかし改めてこういうのを見ると、普段の生活においてもすごく参考になりますよね。今時よく居る、日常生活でお笑い芸人的なやりとりをしようとする人みたいな人が嫌われるのも頷けます。
(ノリツッコミが〜とか、オチがどうとか普段から言ってしまうような痛々しさ)

たから何?という内容になってしまいましたが、この文章を読んでどうしても書きたかったので、記事にしました。

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