私情や憎しみをリングに持ち込むから面白いのに!(女子プロレスのケンカマッチ事件)

世の中では「プロレス女子」ブームということで、今、プロレスが大人気です。厳密に言うと「新日本プロレスブーム」ですね。何度か当ブログにも書いていますが、マニアを切り捨てファンの新規開拓に取り組んでおり、スター選手のイケメン効果もあり女性からの支持を集めています。

そんな中、一般ニュースでこんな記事が流れてきました。プロレス女子じゃなくて女子プロレスの話題ですが、凄惨なケンカマッチが発生したとのこと。

女子プロで起きたケンカマッチ概要

(以下デイリースポーツより抜粋)

世IV虎 安川悪斗に凄惨マッチ

 「スターダム」(22日、後楽園ホール)
 ワールド王者の世IV虎が、かつて同じユニットだった後輩のワンダー王者・安川悪斗にけんかマッチを仕掛け、凄惨(せいさん)な展開となった。馬乗りで鉄拳、掌底を繰り出すと、安川の右目は腫れ上がり戦闘不能に。気力で立ち向かおうとしたが、セコンドがタオルを投入した。
 観客から「プロレスをやれ」とバ声が飛ぶ中、泣き叫んだ安川は都内の病院に搬送された。団体側は両目とも腫れがひどく23日に再検査を受けるとし、骨折の可能性もあるという。甲状腺の悪化、白内障の手術で長期欠場し、昨年12月に復帰した安川の再起が心配される。控室で怒号をあげた世IV虎は無言で会場を後にした。
 会見したロッシー小川代表は「プロレスの範ちゅうを超えてた。悪斗が復帰できなかったら大変なことになる。(感情のもつれが)あったかもしれないけど、プロのプライドがあるはず」と怒りの表情。メーンを締める立場の世IV虎に対し「プロとして失格。ベルト(はく奪)どうこうとなるかも」と処分の可能性を示した。

世IV虎(よしこ、と読むそうです。すごい名前!)という女子プロレスラーが相手(美人レスラーと言われていた人だそう)をボコボコにしたそうです。それが尋常ではないレベルであったためにニュースになっているみたいです。

そして最新号の週刊プロレスの表紙はその殴られて血だるまになった凄惨な姿が大写しになっており、それに対し新日本プロレスのエース・棚橋選手がTwitterで激怒。そしてブログにその背景を書いています。

・表紙とは誇って、皆に掲げる金看板であって欲しいという願いから
・扱うなら中の特集で→世間からの関心度の問題→プロレスよく見ている方々への事案だから
・週刊プロレス表紙の役割
→ジャケ買いできるようなモノ→手に取ってもらわないと始まらない→プロレスと世間をつなぐ役割を期待しているから
・そして、最後に何ひとつ“救い”がない点

専門誌だからこそプロレスを大事に扱って欲しいです
|棚橋弘至 オフィシャルブログ powered by Ameba

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マスコミは東スポだけでいい!と言った長州と同じ

棚橋選手の言い分は非常によくわかります。プロレスブームの今、週プロが水を差すようなことをするなよ、という気持ち。週プロに対し「プロレスと世間をつなぐ役割」を期待しているからこそです。
しかし週プロもあくまで商業誌であり、一番世間に響く出来事や写真を表紙に持ってくるのは当たり前。週プロはファンクラブ会報ではありません。

かつて長州力が「マスコミは東スポだけでいい」ということを言いました。いわゆるプロレス業界側に立ってアングル通りの発信をしてくれる東スポさえあればいいという言い分。しかし、週刊誌は別物でしょう(今はどうなのか…かつてはそうでした)。

リング内で起きていること全てがプロレス

今回の出来事って、プロレスをどういう考え方で見ているかによって解釈が変わってくる、踏み絵のような事件です。ネットを見ていてもいろんな感想がありますね。

プロレスはショーなんだから、台本を無視して本気でボコボコにしたのが悪い。

プロレスは「受けの美学」「暗黙の了解」だからそれを無視したのが悪い。

こんな風に人それぞれいろんな意見があるようですが、プロレスというものの概念が(特に日本では)特殊な以上、説明のつけようがないでしょう。

プロレスに興味のない人からすると当然「本気で殴っちゃいけないの?」「格闘技とは違ってやっぱり八百長なの?」となります。暗黙の了解でホドホドにするとか、受けの美学なんて競技としてはあり得ません。

個人的な感情や憎しみ、反骨精神、さまざまなイデオロギーや個性を持った腕っぷしに自信がある大男が織り成す、強さという真実とハッタリが渦巻くカオスな空間。私の思うプロレスの定義はこんな感じです(これは人それぞれなので、正解はありません)。なのでむしろ個人的な憎しみは前面に出すべき!

台本ではない本気の憎しみや人間関係のすれ違いがあるもの同士がプロレスというリングの中で対峙し、タイトルマッチだったということで当然結末は決まっていたはずですがその中でどんな戦いを見せるか?

なので問題は当人同士ではなく、こうなることを予期できず試合を止められなかった団体側・管理側にあるはずです。プロレスの範疇を越えてこうなる可能性を予期できれば、レフェリーが止めたりセコンド乱入でなし崩し的にするとか… 試合の結末を考えるのは団体の役目でしょう。

ちなみに今回の件で一番しっくりきたのは、ターザン山本氏のツイート。ほんとこの通りです。

「プロレスラーは強くなければならない」ということです。この「強さ」の見栄の張り合いが醍醐味じゃないの?と思います。このギリギリの攻防と緊迫感。ヤバイと思ったら周りの人間が飛んできてボコボコにし返すくらいじゃないと!

近頃「プロレス」という言葉が「お約束のやり取り」みたいなネガティヴな意味で使われることが多いですが、ここではそういう意味ではなく「予定通りのことも、そこから逸脱したハプニング的なものも全てがプロレスである」という深い意味です。
プロレスは基本的に「聞いてないよ!」が通用しない世界。そこで起きたこと全てがプロレスであるとジャイアント馬場という人は達観していたのです。

プロレスとは何か?の答え

今回の件で激怒していた新日本プロレスの棚橋選手。新日がどん底だった2000年前半から第一線で活躍し盛り上げており、今のブームの立役者です。

そんな棚橋選手に言わせると「プロレスは競技である」とのこと。プロレスというものを世間に認知させるために、技を競い合ってスリーカウントやギブアップを取れば勝ち。スポーツであり怖いものではないですよ、というのを伝えたいということだそうです。

今の新日本プロレスの方向性やイメージ戦略とぴったり合っており、素直にすごいなぁと感じます。

ではアントニオ猪木はかつて、当時弟子だった小川直也に何と言ったか?

プロレスとは、興行である

非常に理にかなった答えです。「戦い」とか言いそうなものですが、猪木は「見せ物」と割り切っていたわけです。「キングオブスポーツ」という看板のもとで、スポーツとは真逆なのに妙に説得力がある「なんかすごいこと」をやり続ける。特に異種格闘技戦なんて、冷静に考えればナンセンスの極みのように見えますが、あれこそ「競技」ではない面白さでしょう(あとから漏れ伝わる裏話も含め)。

「競技」のように、技を掛け合ってギブアップを取ったら勝ちというだけのものではなく、表面から見える結果の裏にあるさまざまな人間模様と感情の起伏、その背景。こうしたさまざまなものの交錯する空間を「興行」として成立させる!

怖くて物騒でいかがわしくて、胡散臭くて、そして何より「なんかすごい」もの。棚橋選手とは真逆ですが、見せ物とはそういうものです。

最後に、週刊ファイト元編集長・井上義啓氏のあまりにも有名な言葉。

プロレスとは底が丸見えの底なし沼である

プロレスを「競技」「スポーツ」
の観点で語るほど野暮なことはない
と個人的には思いますが、今の新日本プロレスがこれだけブームになっているということを考えると、時代は「競技性」を求めているということかもしれません。

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